行ってきましたぁ、セドナへ!
先生の旅行記や写真を見て、こんな素敵なところがあるんだなぁ、とは思っていましたが、まさか私みたいなイッパンジンが本当に行くことになるとは!行く前は細かいことまでいろいろ心配でしたが、井上先生と久慈先生に不安をすべて取り払ってもらったので、安心して出発できました。
ころころっと舞い込んだチャンスにちゃっかり乗っかって行ってしまったこと、いまだに信じられないのですが、帰ってからの心の変化や状況の変化を考えても、あれは夢じゃなかったんだと実感できます。セドナでたくさんのことを心で体で感じることができました。
~ボルテックス巡り~
セドナでは 4 つのボルテックスをめぐりました。トレッキングしたり、岩山に寝転んでみたり、先生について精霊とつながる冥想したり、石を浄化してメディシンバックを作ったり・・・。それぞれの場所によって、感じ取れる空気が微妙に違ったのはとても不思議です。
ベルロックはおだやかだけど力強さも感じてとてもリラックスできました。
ボイントンキャニオンのカチナマンは心地よくてずっと寄りかかっていたい感じ。
カチナウーマンはなんだか勝気な空気が伝わってきて、ちょっと苦手だったかな^^;
キャセドラルロックはエネルギーが強いのか頭がきりきりと痛みました。
(そういえば、ニューエイジセンターというパワーストーン屋さんでも、体中の皮膚がぴりぴり痛くて、長い時間いられませんでした。石って本当に強い波動を出しているんですね!)
そして私がセドナで一番感動したボルテックスはエアポートメサです。
最終日の早朝、私は日の出を見にエアポートメサに登りました。ホテルから歩いて 20 分ほど、ちょっとした岩山を登って頂上につき、 360 度ぐるっと辺りの景色を見渡したとき、日の出の瞬間はまだでしたが、なんとも言えない感動が私の体の奥深くから湧き上がってきて、思わず涙があふれそうになりました。
エアポートメサは私のすべてを包み込んでくれるようで、とてもあたたかく、優しかった。
セドナに着いてからまるまる 3 日間いろんなところをまわりましたが、 4 日目の朝にしてようやく、私はセドナに受け入れてもらえた、という感じがしました。あの感覚を思い出すと、今でも胸にじぃんとくるほどです。こんな素敵な場所があるなら、昨日もおとといも早起きしてくれば良かったぁ。。。
私の一番お気に入りの場所となりました。
~バーノンさんのお話とスエットロッジ~
ネイティブアメリカンの酋長バーノンさんと出会い、お話を聞けたことは私にとってとても貴重で、大きな意味があったと感じています。バーノンさんのことばのひとつひとつが胸に響きました。
『私の叩いている、これは何に見えるか? ・・・ドラムだね。
でも心の目で見ると、私たちにはバッファローと樹に見えるんだよ。
バッファローと樹が命を捧げてくれたおかげで私はこのドラムを叩くことができるんだよ。』
--- わたしたちが使っているものはすべて、地球上にある命や資源が本来のすがたを変えたもの。わたしたちのために、ときには自らの命を落として存在してくれている - ―
この服も、机も、茶碗も、考えてみれば家だってビルだって・・・全部全部そうなんだ。
バーノンさんそしてネイティブのひとたちの、存在するものすべてに向けられた愛と感謝のまなざしに深く深く感激しました。
もうひとつバーノンさんのお話の中で印象に残ったのは、一本の棒を使いながら、『 too good でもなく、 too bad でもなく、 常に center にいなさい』と言っていたことです。初めは、良すぎるのも良くない、悪すぎるのも良くない。平均的、中間的な立場をとりなさいと言っているのかと思いました。だからそういう意味で、高望みはするべきではないと。
でも、どうもしっくりこなかったし、このことばの真意は私の持っている疑問の核心をつく答えのような気がして、帰国してからもずっと考えていました。
まだよく分からないのですが、この世の中のものごとは、表があれば必ず裏も存在する。陰と陽、光と闇、プラスとマイナス、高と低、大と小、早い遅いとか、長い短いとか・・・。ひとつのものごとを一本の棒に例えると、端と反対の端、必ず相対する二極が存在するけれども、それはただそのように存在するだけだから、そのどちらが良いとか悪いとかの評価や判断することなく、一本の棒の存在自体を肯定する。
あのときバーノンさんは、ものごとのありのままを受け入れるという意味で、常にセンターにいろと言ったのではないかなぁ。
うーん。。。まだ中途半端な感じだけど、いつかはっきり分かるときが来るかな。
自然とのつながりを常に意識して、心で感じることを大切にしているネイティブのひとたち。その古くから伝わる教えをもっとたくさん聞きたかったのですが、お話の後は歌の練習をして、いよいよスエットロッジです。
私は極端な閉所恐怖症です。暗闇も怖いです。おまけに熱いお風呂やサウナもダメで 5 秒と入っていられません。ということで・・・狭くて暗くて暑いスエットロッジは私にとって本当に酷な体験でした(笑)。
ロッジが閉められ、点のような小さな穴まで外からふさいでいるとき、もうすでに息苦しくて涙がボロボロ止まりませんでした。運び込まれた焼け石の赤い弱々しい光も消えてなくなったとき、この上ない恐怖感に襲われて叫びそうになりました。でもこの日のために久慈先生に暗闇と狭い所を克服するパームセラピーをやってもらったことを思い出し、大丈夫大丈夫、と必死に言い聞かせました。
そのうち、バーノンさんの「精霊がきます」とのことばに不思議と落ち着くことができ、自分は今狭くて暗い中にいるけど、大好きな虫たちや木や植物、動物などの精霊に囲まれているんだと思うとちょっと安心して祈りに集中できました。スパークがちかちか光るのも見え、 1 ラウンド目は無事終了。今考えると、このときはまだそれほど暑くなかったから大丈夫だったんですね^^;
2 ラウンド目、自分のために祈る儀式が始まると、ロッジの中は蒸気でものすごい暑さになりました。暗闇はもう大丈夫でしたが、湿気を含んだむせ返るような暑さに耐えられなくなりました。焼け石がしゅーしゅーいうたびにぶわーっと襲ってくる熱気、バーノンさんの歌声も暑さを助長するかのように大きく響いて・・・。苦しくてもう祈りどころではなく、バーノンさんの声も通訳さんの話もまともに聞き入れることができず、何度も何度も飛び出しそうになりました。でも、スエットロッジはこの旅のメインイベントのひとつ。みんなそれぞれの思いがあって参加しているのに、それを途中で邪魔できないと思って必死に耐え、結局 2 ラウンドが終わって入口が開いたとき、脱落して外に出ました。
涙と鼻水で顔はぐしょぐしょ、全身汗びっしょり、でも、とってもとってもすがすがしかった。
途中でギブアップしてしまいましたが、後悔や最後までいられなかった自分への怒りや責める気持ちはまったくありません。恐怖感に向き合い 2 ラウンドまで頑張れたこと、みんなの邪魔にならないよう、区切りで入口が開いたときに出たこと、ツライという正直な気持ちを自分で認めてあげられたことに大きな達成感がありました。ただ、ロッジの中で大切な人のためと地球のために祈ることができなかったので、これからの日々、生活しながらたくさん感謝して、祈っていきたいと思います。
この日の夜、不思議なできごとがありました。
寝ようと思って目を閉じたら、目の裏に鮮明な野原の映像が見えたのです。
生い茂った草が風に揺れていて、赤や黄色の花の上を蜂や虫がくるくる飛びまわって・・・
場面はころころ変わりましたがすべて野原の植物や生き物の映像でした。まるで写真やビデオを目の前で見ているかのようにくっきり鮮やかに見えたのでちょっとびっくりしましたが、野生だけの世界がとてもきれいで心地よく、流れに任せてしばらく見入っているうちに出なくなりました。
次の日の夜も少しだけ見えたけど前の日ほどはっきりしたものではなく、あんな映像が見えたのは後にも先にもこのときだけですが、何かのメッセージだったのかな?また出てきてほしいなぁ。
~自然の中で感じたこと~
セドナでは、雄大な自然を身近に感じることができて、毎日が感動の連続でした。
まっすぐなひこうき雲が映える濃い青の空。遠くの、そのまた遠くに広がる大地。雪解け水がキンと透き通った川。赤土が何層にも重なった岩山の一角はほんとにコーヒーポットに見える!赤茶けた岩肌のあたたかい手触り。乾いた土を鮮やかに彩るサボテンの花。雑木林に響くきつつきのかろやかな音。岩と岩のすき間に根を伸ばす灌木の生命力に驚き、ふだん見ることのできない動物たちの野生のすがたに心が安らぎました。ボルテックスに吸い寄せられる雲や太陽のまわりを虹が囲むという珍しい現象も見ました。
そういう大自然を目の当たりにして・・・自分は、ちっぽけな存在なんかじゃない、と思えた。
地球上にあるすべてのもの、山も岩も石ころも、木も草も花も、鹿もウサギもちょうちょもありんこも、すべてが同等であり、なんの優劣もない。そして私も同じく地球の一部であり、自信を持って生きていいんだと思いました。
実は、セドナの自然に感動しつつも、滞在中は内心かなり焦っていました。
というのは、セドナは願いがすぐに実現するところと聞いていたので、図々しくもあれこれたくさん叶えてもらおうと準備万端で来たつもりだったのに、いざ現地に着くと、どの願いもはっきり思い描けなかったからです。結局、一番の願いは何なのか、その願いは本当に心から欲しいものなのかよく分からなくなってしまったのです。
そんなとき、赤い岩山の景色を眺めていて、ふとそのヒントが浮んだ気がしました。
--- 今でも十分幸せなんだよ。
そうか・・・。あーなりたいこーなりたい、あれが欲しいこれが欲しい。いっぱいいっぱい欲しいものがあったはずなのに、セドナに来てからそれがよく分からなくなってたのはこういうことなんだ。
食べるものがある
住む家がある
着替える服がある
元気な体でスポーツも旅行もでき、こうやってすばらしい景色も見れる
親がいて旦那がいてたくさんの友達がいて
周りの人から、地球から、たくさんの助けをもらって生きることができる
私は今まで足りないものばかりに目を向けていました。よーく考えたら、足りてるものだらけだった。もうたくさんの幸せを持っていることに気がつきました。そして今ある幸せを想っていたら、まわりの人やものや環境に対していっぱいいっぱい感謝の気持ちが湧いてきました。
いよいよ帰国の途に着く深夜、ホテルのテラスに出て満天の星空を眺めていたとき、流れ星がすぅーっと流れました。セドナに来て良かったんだよ、と言われたかのようで嬉しかった!最後の最後まで、素敵な時間を過ごすことができました。
~帰国してから~
私はもともと自然が好きで、今住んでいる無機的な都会がたまらなく嫌でした。だから毎回どこか旅行から帰ると、空が狭くて緑が少なく、空気のよどんだ東京の現実にがっかりして、しばらくどよーんと暗い気分ですごすのですが、今回帰ってびっくりしたのは、いつものつまらない風景のひとつひとつが色濃くはっきり輝くように見えて、なぜかとてもいとしく感じたことです。視界をさえぎるビルや冷たい高架橋をあんなに恨んでたのに、うまく説明できないけど、そういうものもすべて一体となっている気がして、その存在がただひたすら嬉しく思えるのです。
そして、とても不思議だけど、不可能だと思ったことが状況がころっと変わってなぜかうまくいってしまったり、知りたかったことがタイミングよく目の前に現れたり、予想外のお金やモノが手に入ったり、なんだかラッキーなことばかり起こります。セドナのパワーってすごーい!
また、いくつか気づきもあり、その度に心がおだやかになっていく自分がいます。最近では、私が意外なものに執着していたことが分かりました。手放せたらもっとラクになるはず!
地球とのつながりや一体感を感じられるようになったり、自分の身に起こることの意味を考えられるようになったのも、セドナに行ったからこそです。大切なことに気づかせてくれて、私に自信をつけてくれて、私の生活を明るく楽しくしてくれたセドナに心からお礼を言いたいです。ありがとう!
そして私をセドナへと導いてくださったお二人の先生、私はこの旅行を通じて、今まで先生に何度も言われていた、『ネガティブなことにフォーカスしない』ということを実行するとどういう成果が現れるのか確信しました。その後のふだんの生活でも、まだ起きてもいないできことに余計な心配をしなくなって、気持ちに ゆとりを持てるようになりました。超ネガティブ人間でしたが、私は変わったとはっきり自覚できます。本当にありがとうございました!
セドナ旅行からは帰ってきましたが、スピリチュアルな成長への旅はこれからも続けていきたいです。
井上先生、久慈先生、これからも楽しいことたくさん教えてくださいね♪ |