最近は、アメリカ国内で、行きたいところNO.1にあげられるほど癒しのスポットとして人気が出てきました。
日本でも、ビールやコーヒーのコマーシャルに使われているので、みなさんも、そこがセドナと知らなくても、一度や二度目にしていると思います。
そしてこのセドナは、ネイティブインディアンが多数住んでいる所です。
私は、インディアンに対して、一昔前のアメリカ人が日本と聞いて、人々がまだちょんまげを結って、着物を着ていると思っていたのと同じくらいしか知識がありませんでした。
セドナに行く前までは、インディアンに対して全く興味がなかったのです。
旅行記の前に、私が体験したインディアンに関する不思議な出来事をシェアします。
それは、高校1年のある晩のことでした。寝ていると誰かに見られている感じがして、横になったまま部屋の電気をつけると、壁にあるビッグ ウエンズデーのジャン マイケル ビンセントのポスターが、大きな立体的な男性のインディアンの顔になっていました。彼は大きな羽を何枚もつけたものを頭にかぶっていて、横目で『ギョロリ』と私のことをただ見ています。とてもびっくりしました。彼の眼差しは、私の肉体だけでなく、全てを見透かしているようでした。感情・思考・スピリチュアル体を視ていたんだと思います。長い月日、彼がどのような存在で、何をしに、何で私を選んで来たのかわかりませんでした。
高校と短大が三鷹にあり、よく吉祥寺に遊びに行っていましたが、吉祥寺の商店街にある靴屋が大きな立体的なインディアンの顔の看板を出していて、それを見たときだけあの夜の訪問者のことを思い出しました。
セドナへの旅行代は認定書の取得という事もあり、当時の私にはかなり高額でした。でも、絶対何が何でも行くんだ。と思ってモックアップ(欲しい物・現実をたやすく手に入れるテクニック)したら、足りない分の臨時収入がありました。ヒーリングスクールの授業料のときもそうでしたが、エネルギーレベルで準備ができているとお金や、時間は難なく手に入ります。これは、宇宙の法則です。
旅行代は、とてもありがたいことに、当時勤めていた鍼灸院の社長や患者さんからのお餞別、父からのおこずかいという形で、があっという間に足りない分の22万集まりました。
出発の何日か前に、若い女性の新患さんが仲良しの友達を連れてヒーリングを受けにやって来ました。その友達はとても優しいエネルギーの持ち主で、すぐにただの人ではないということが感じられました。
ヒーリングを見学したいというので、オーラが混ざらないように少し離れたところで見ていてもらいました。彼女は私がエネルギーレベルで行っている事が全て視える天然のサイキックでした。
「先生がしている事、スゴイです!!まさに愛そのものです。」と愛に触れ、涙を流していました。視えるし、敏感に愛のエネルギーを感じたようでした。
私がヒーリングのために呼んだ2人のエネルギー体であるヒーリングマスターも、彼女には視えていて「2人が、一生懸命に先生の手伝いをしています。」と言っていました。
そして、興味深い事に、私が彼女たちに「セドナに行く。」と言っていないのに、そのサイキックの子は「先生の近くにインディアンの酋長がいます。たくさんのスピリットが早く先生とつながりたいと首を長くしています。」と言いました。
私には酋長やスピリット達が視えませんでしたが、とても嬉しく感じました。セドナに行って早く彼らとつながりたい!!と、益々旅行の期待が高まりました。
この旅行でシャスタに一緒に行った小倉さんと、魔女のねーさんと知り合いました。
小倉さんは、旅行の世話係・ドライバーとしての参加です。小倉さんが感じた私の第一印象は、「わがままそうな子だな。要注意!」だったそうですよ。イヒヒヒヒ!!
魔女のねーさんは、飛行機の座席が隣だったので直ぐに仲良しになりました。
ねーさんは去年も参加したらしく、セドナに付いての必要な情報を余すことなく教えてくれました。感謝です!!
旅行前にいつもやる儀式、「この旅行が全てタイミングよく、私にとって良い事、必要な事がおこりますように」と、モックアップしたのが効いたから、ねーさんが隣の席になったんだと思います。
セドナに入る前にキャニオン デ シェリーというナバホ族のネイティブインディアンの居留区に行きました。キャニオン デ シェリーとはスペイン語で『谷間の渓谷』という意味だそうです。
ここの歴史は、15世紀にスペイン人が入り始め、先住民たちに対してキリスト教に改心するように強要し植民地にしようとしたことにより戦いが続きます。
1805年にはスペイン人によるナバホ族の大虐殺が起きています。また、1848年には、食料の少ない冬場に戦い抜くことができずアメリカの軍隊に降伏し、誇りや名誉を奪われ真冬にニューメキシコまでの長い道のりを歩かされ、多くの人たちが飢えや寒さ、病気で亡くなりました。このことは『ロング・ウォーク』と今でも語り継がれているそうです。
そんな、悲しい歴史があったとは・・・。ここもセドナと同様の赤茶けた渓谷が続いて、木や草花が群生しています。居留区までは、道がないので川をジープで上っていくんですが、車がかなりの横揺れでちょっとしたアドベンチャーツアーのようです。 |